36年前、小学校対抗のサッカー大会・・・当時は子供向けのサッカークラブなんか
なかったので、学校で運動好きを先生が20人ほど集めて、大会に出たんであり
ます。小さな小学校だったんで、メンバーは夏の水泳大会、秋の陸上大会とほぼ
一緒であります(笑)。一回戦で、いきなりPK戦になりました。点数も、自分のポジション
も覚えてなかったんでありますが・・・そもそもPK戦なんてあまり知らなかった・・・。
試合前のユニフォームを配る時でも、一番人気はベッケンバウアー(前WC委員長)の
背番号5であったのに、私が希望したのは「3」。当時のジャイアンツ(野球)の長嶋の
背番号が欲しかったのであります。サッカー好きの友達の中では、無抽選でゲットでき
ました(汗)。
PK戦・・・いきなり中心だった仲間から、一番はお前って言われて・・・まあ、一カ月
ぐらい毎朝練習してたんで、PK遊びもけっこうやってて・・・でもFWでなかった自分が
指名されるとは思ってませんでした。当時からずうずうしい性格だったのか・・・
双方の小学校が全校応援している中でのPK戦・・・なにかヒーローにでもなったウキウキ
気分でゴール前に立って・・・右のポストを直撃して・・・幸運なことに内側に跳ねて
入ったのを覚えてます。その後、FWの二人がまさかではずして、一回戦負け・・・。
36年も前のことで・・・しかも地域の小学生サッカーの一回戦・・・でもまだ覚えている
ところがしつこい性格ですよね。
昨夜の世界を代表する試合のPK戦と自分の幼い頃のPK戦を比べるのも変であり
ますが・・、実は、自分のPK戦が負けた理由が36年してわかった気がするんであり
ます。私より格段にシュートのうまいFWのメンバーが、「お前が一番」と言った瞬間
に、プレッシャーに負けての言葉だったんだなって・・・。PK戦の結果は偶然かも
しれないけれど・・・そこに至る過程には必然も含まれてたんだって・・・。
日本vsパラグアイ・・・駒野がPKをはずした時・・・とても必然を感じたのであります。
岡田監督のやり方は嫌い・・・そう思っていたのでありますが・・・最後まで残念だ
なあと・・・。岡田監督は、シュートの確率の良い順番に、PKを蹴る順番を決めて
いたとか・・・。でも、本来は確率なんかより、普段通りに蹴れるかどうかが一番の
ポイントなんであります。確率で並べるのは、敗者になった時の言い訳けの論理
かなあと思うのであります。駒野選手は、そもそも試合とか大観衆の中で、どれだけ
PKを蹴ったことがあるのかはなはだ疑問なんであります。そんな選手を緊張感の
高い場面で使う・・・きっと選択肢が違ったのだと思うのです。岡崎、中村・・大観衆
の中で普段PKを蹴ってる選手を後回しにして駒野・・・わからない選択なんであり
ます。
韓国に負けて進退伺い・・・岡田監督は、きっと友人・知人なら潔く、責任感強く、
素直な良い人だと思うはずなんです。でも、監督としていかがかと・・。W杯っていう
4年の準備をする大会で・・・ぶっつけ本番に近い形でチーム編成・・・これは監督
の手腕ではなく、本田を中心とした選手の工夫と団結を許した寛容力が導いた
結果かなあと。準備が失敗しても、最後まで監督としてそれまでのやり方にこだ
わったフランスの監督よりはずっと良いけれど・・・そう思った次第であります。
NHKの本田特集を見たのでありますが・・・海外クラブで慣れない英語で・・
キャプテンとしてまわりを育てる映像が放映されました。ビッグマウスとか奔放な
ファッションばかり注目されますが・・・実は実態はまったく違うのかもしれない・・
違うのかもというのは、どうしてもテレビは美化して放送するから、全部を信じる
のもいかがと思うのですが・・・でも結果を見ると、偉大なプレーヤーかもしれない
なあと感心しております。もちろん、偉大というのは、個人としてのスキルだけで
なく、自分を活かすためにまわりのレベルまで影響を与えるという意味であります。